「赤の王国」プレストーリー 十束編

K_BOX_赤の帝国
「赤の王国」通常版の書影です!

 

以下は、「赤の王国」発売前の、3週間連続掌編更新企画、二週目の十束編です。


 

「赤の王国」プレストーリー 十束編

 

 
「すまん」
十束多々良の一応の育ての親である男は、十束の前で両手をついて深々と頭を下げた。
十束はうどんをたぐる箸を止め、ぱちぱちと目をしばたたかせる。
「どしたのおっちゃん。帰ってくるなり土下座して」
十束は育ての親――十束とは名字が違い、石上という――の畳の上に伏せられた後頭部を、首を傾げながら眺めた。
「またお前を一人置いて、長々と留守にしてしまった」
「はぁ、まぁ、今さらそんなこと謝らなくても」
「その間にギャンブルで負けちゃってな……借金作っちゃった……」
「またか~。返せそう?」
「まだ目処は立っていない……ので、いくらか金ができるまで、またしばらく雲隠れしようと思う。……その間、お前はお前でなんとか生きていってほしい……すまん……」
「りょーかい」
十束が軽い調子で請け負うと、石上はそろりと頭を上げた。しょんぼりとした情けない顔になっている。
「俺のことなら、そんなに気にしなくても大丈夫だよ。そんなに気にしてないとは思うけど」
「多々良、時々ちょっとだけひどいこと言うな……」
「そう? ところでおっちゃんもうどん食べる?」
「食べる……」
十束の今日の昼食はざるうどんだった。十束は新しい器を出してめんつゆを注ぎ、テーブルの上に置いた。石上はザルの上に盛られたうどんを箸でつまみ、太さの不揃いな麺をまじまじと見つめる。
「このうどん、お前が打ったのか?」
「うん。小麦粉と塩と水があればできるから、うどんっていいよね」
「お前は昔から、わずかの金と物資で食べ物を生み出すのが上手い」
「おかげさまで」
嫌みのつもりはなく言ったのだが、石上は傷ついたような顔を作った。
「今日の多々良の言葉は痛い……」
「ええー? 今日のおっちゃんはちょっとめんどくさいなぁ」
十束は困った顔で笑い、うどんをすする。
「俺、もう十四だし、食べ物調達する力はすっかり鍛えられてるよ。食べられる野草も見分けられるし、ザリガニの美味しい調理の仕方も知ってる」
「普通の十四歳はそんなサバイバル能力はないものだけどな」
「あと隣のおばさんも色々おすそわけくれるし。……あ、そういえばこの前ゴミ捨て場で自転車拾ったんだ。ボロいけど、まだ乗れそうでさ」
十束の話を聞きながら、石上はめんつゆにくぐらせたうどんを美味そうにすする。一人気ままな食事もいいけれど、久しぶりの一緒の食事も楽しいなと十束は思う。
一人分のザルうどんを二人でつつき合い、それが空になる頃、石上は唐突に言った。
「とてもダメなことを言うが、俺はお前にちっとも期待されていないのが楽ではある」
はぁ、と十束は気の抜けた相槌だけを返す。石上は落ち込んでいるのか、神妙な顔で続けた。
「血は繋がってないとはいえ、曲がりなりにも俺はお前の保護者なのに、全然保護者をできていない。恨まれても仕方ないと思う」
「えー、恨まないよ」
「そうだな。お前が恨んだりするのって見たことないし、想像もつかんなぁ」
「恨むようなこと何もないからなー。楽しいこといっぱいあるし」
石上と軽い口調で会話しながら、十束は食べ終わった食器を片づけ、湯飲みに冷たいお茶を入れた。
「お前のそういうところに救われちゃいるが、でもお前はもっと、誰かに期待したり、悲しんだり、怒ったり、特別に楽しかったり嬉しかったり……そういうのがあった方がいいんだろうなとも思う」
十束はきょとんとして首を傾げた。石上はもごもごと、「お前に悲しまれたり怒られたりしたくはないんだがな。それに『特別』なんてもんを見つけるのもなかなか難しいもんなんだけど」と独り言のようにつぶやく。石上が何を言いたいのかよくわからず、十束はきょとん顔のまま彼の顔を眺めていた。
そのとき、アパートのドアがドンドンドンと乱暴に叩かれた。ノックというには乱暴すぎる音と、「石上さぁーん、いるんでしょ?」というドスのきいた声が響く。
石上が胡座をかいた体勢のままびくんと小さく跳ねた。
「あ、この声は荒田さんかな?」
石上が借金をするのも、その返済に難儀するのもこれが初めてのことではないので、石上家には顔なじみの借金取りというのがいる。今ドアの前にいるのも、なじみの取り立て人のようだった。
「た、た、多々良。しまった。のんびりうどん食ってる場合じゃなかった」
本当は、取り立てが来る前にずらかり、しばらく姿を消すつもりだったのだろう。狼狽する石上を安心させるように、十束はその肩に手を置いた。
「俺が荒田さんたちを引きつけておくから。おっちゃんはその間に窓から逃げなよ」
「すまん。恩に着る」
石上は十束を拝むと、部屋の奥の窓から外の様子をうかがう。その様子は、ドラマに出てくるスパイか何かのようで、堂に入っていた。
「おっちゃん。俺、こういうスリリングなの、嫌いじゃないよ」
十束は小さな声で言い、「グッドラック!」と親指を立てた。
石上は情けない笑い顔を見せ、音を立てないように開けた窓からするりと出ていった。これからどこへ行くのか、いつ帰るのか、何も聞かなかったが、まあまた会えるだろう。
十束は今の生活が嫌いじゃない。楽しいこともたくさんある。
けれど、石上が言うような『特別』な何かと出会うことがあったら、この世界の景色は変わるのだろうかと頭の片隅で考えながら、十束はドアの向こうの借金取りたちに向かって「今開けまーす」と明るい声を上げた。

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