「赤の王国」プレストーリー 周防編

赤の王国写真

「赤の王国」の見本が届きました!
左が通常版、右がアニメイト限定版です。
発売も間近となりました。よろしくお願い致します!

 

以下は、「赤の王国」発売前の、3週間連続掌編更新企画の最後、周防編です。


 

「赤の王国」プレストーリー 周防編

 

 

中華屋のカウンター席でラーメンをすすっていたら、見知った顔が入ってきた。
「あら」
見知った顔――数日前に周防が入学した高校の担任教師、櫛名穂波は周防を見て目を丸くした。周防は麺をくわえた状態で一瞬動きを停止してから、ちゅるりと口からぶら下がった麺をすすり取る。
「周防君、夕食中?」
「……ああ」
「奇遇ね。私も今日は外食にしちゃおうと思って。隣いいかしら」
穂波は周防の返事を待たず、隣の席に腰掛けた。周防は横目で彼女を一瞥したが、気にせず食事を続けることにした。
さっきまで仕事をしていたのだろう。穂波はいつも学校で着ているパンツスーツ姿で、大きめのショルダーバッグを持っていた。清潔感のある美人の穂波は小汚い中華屋の店内で若干浮いて見えたが、本人はこういう店が結構好きなのか、慣れた様子でバッグをカウンター下の荷物棚に押し込み、メニューを手にする。
穂波はメニューを吟味しながら、周防の食べるラーメンのどんぶりに目を移した。
「周防君。私が餃子と野菜炒めを頼んだら一緒に食べてくれる?」
穂波は気軽な口調で言う。周防はまた少しの間箸の動きを停止した。
おそらく彼女は、周防がラーメンで夕食を済まそうとしているのを見て、野菜なども食わせようという算段をしたのだろう。周防のどんぶりを見たときの穂波は生徒の健康に気を回す教師の目をしていた。
「一人じゃ食べきれないから」
穂波はそう理由をつけて気さくな笑みを向けてくる。
特に断る理由もなく、周防は「ああ」と短く応じた。
櫛名穂波は二十代前半の若い教師だ。見目も綺麗で、入学式の日の最初のホームルームで彼女が教壇に立って挨拶したとき、クラス全体が浮き足立った空気になったのは記憶に新しい。
穂波は周防を恐れない。恐れないだけでなく、心配そうな目を向けてきたり、正義感を振りかざしてきたりもしない。周防はそれを適度な無関心と捉えていたので、校外で会った穂波がこんなふうに親しげに接してくるのを意外に感じていた。
中学時代、周防は気がつけば悪名を轟かせていた。自分から積極的に悪行を働いた覚えはないのだが、降りかかる火の粉を力を以て払ううちに、いつの間にか「猛獣」などというあだ名までつけられた。
だが周防はそれで一向に構わなかった。「猛獣」として遠巻きにされるくらいの距離感が、きっと自分と他者の距離としてちょうどいいのだろうと、一切の皮肉めいた気持ちもなく、客観的に認識していた。
中学の頃は、そんな周防を更生させようと躍起になる教師もいた。その教師は周防への「指導」が成果を上げなかったことに勝手に病み、やがて学校に来なくなった。そのことで周防に対する腫れ物感は大きくなり、それには多少辟易した。
有名人になってしまっていた周防の評価は当然高校に入学しても引き継がれ、今も多くの教師や生徒が周防の周りに自然と築かれた見えない壁の向こうからおそるおそる様子をうかがってくる。
その中にあって、穂波からは周防への恐怖も、過度な干渉をしようとする意思も感じられず、周防は彼女のことを「楽な教師」であると思っていた。
「一人暮らしなのよね?」
カウンターの向こうで中華鍋が振るわれるのを眺めながら、穂波がなんのことはない世間話を切り出す口調で言った。
周防の家族構成については――もはや構成する家族がいないことについては、担任教師である穂波は把握しているのだろう。周防はどんぶりの底に残ったラーメンスープを飲み干しつつ頷く。
「去年、じいさんも死んだんで」
頷くだけでもよかったのだが、彼女は重たい同情を向けてくる気はしなかったので事実を端的に申告する。穂波はお悔やみの言葉を述べることはせず、そっと目を伏せるだけで哀悼の意を示した。
「おじいさまは、どんな方だったの?」
他者のことをどんな人間、と表現するのは難しい。周防は眉を寄せた。
「……無口」
「あら、周防君に言われるなんてよっぽどね」
「…………俺よりよっぽど偏屈だった」
少しむすりとして言うと、穂波が微かに声を漏らして笑う。
「周防君はいい子だものね」
いい子。
自分を評する言葉として聞き慣れなさすぎる響きに、周防は異物を飲み込んでしまったような顔をした。
楽な教師だと思っていた穂波への評価が入学数日目にして怪しくなり、周防は胡乱な目で穂波を見る。
「いい子?」
「あ、いい子っていうと語弊があるかしら。客観的に見ると悪い子寄りだものね」
穂波はあっさり前言を翻し、一番適切な言葉を探すように視線をくるりと回した。
「素直。優しい。真摯。……うーん、どれも周防君を表すのに惜しい気はするんだけど適切ではないわね」
穂波は腕組みをして真剣に考え込んでしまう。周防は警戒するようにわずかに彼女から身を引く。
穂波はふと、ぴったりの言葉を思いついたような顔になって周防をまっすぐ見た。
「信じられる人」
真面目な声音で言い、穂波は顔をほころばせた。
「……っていう印象を、私は周防君に持ってるわ」
周防はとっさには言葉を返せず少し詰まってしまってから、深いため息をついた。
「入学数日で、何がわかるって?」
「そうね。私はまだまだ新米の先生なんだから、フィーリングに頼って判断しちゃダメよね」
穂波は朗らかに周防に笑いかけた。
「だから、これからじっくり知っていくことにするわ。よろしくね、周防君」
周防が返事をしかねていると、カウンターの上に穂波が注文した野菜炒めと餃子、チャーハンが並ぶ。食欲をそそるごま油の香りの湯気が立ち上っていた。周防は今ラーメンを食べたばかりだが、育ち盛りの腹にはまだ十分余裕がある。
「さあ食べたまえ若人」
おどけた口調で言い、穂波は自分も「いただきます」と手を合わせる。
自分はもしかしたらこの教師が苦手かもしれないと感じながら、周防は黙って野菜炒めに箸を伸ばした。

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